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気ままに生きます

人生いろいろ

映画 「サウルの息子」 感想

映画

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最近は意図せず戦争を題材にした映画を見ることが多いです。その中でも、この「サウルの息子」は忘れられない作品になりそうです。

 

舞台はアウシュビッツ=ビルケナウ収容所。主人公サウルは同じユダヤ人の死体の後処理をするゾンダーコマンドという仕事をしていた。(もちろんこのゾンダーコマンドも責務を終えた数週間後に殺される。)その中でサウルはガス室で発見された自分の息子を埋葬するために奔走する、というのがあらすじ。

 

まず、この映画は撮影方法が特殊で終始サウルをアップで映し、背後はボヤけてよく分からないという手法で撮られています。

それは余りにもおぞましい収容所での光景をあえて見せないという意味もあると思いますが、やはり同胞の後始末をするサウルの閉ざされた心理状態や見る側をサウルの視点に引き込ませリアリティを際立たせるという意味もあると思います。

 

ただ、ホロコーストやユダヤについての知識がないと多少分からないことがある気もしました。なぜ亡くなった息子を火葬ではなく土葬にこだわるのかというと、ユダヤ教ではきちんと埋葬すると正しい者は墓場から蘇り幸福を得られるという教えがあるからだそうですし、ラビ=聖職者、カディシュ=賛歌というのも自分の知識ではテレビのリモコンを一旦停止して調べてみないと分かりませんでした。

 

この映画で最も気になったは結局「サウルの息子」とは誰なのかという点です。埋葬しようとした「息子」はどうやら物語が進むにつれて本当の息子ではないということが分かってきます。ではこのタイトルはどういう意味なのか。ラストの場面では、処刑の日がそこまで迫っていたゾンダーコマンド達が反乱を起こし脱走します。その脱走の折にサウルは「息子」の遺体を持ち出しますが、川を渡る際に手放してしまいます。仲間は彼を励まし、小屋で小休止することにします。その時、ある少年がこちらを見つめているのにサウルのみが気がつきます。これはゾンダーコマンド側の立場に立つと非常に危険な状況ですが、サウルは何故か仲間に知らせるどころか作中で初めて笑顔を見せます。その後、少年は自らの自由と引き換えにドイツ兵に居場所を知らせサウルらは射殺されます。そして、少年が森の奥へ走り去っていくシーンで物語は幕を閉じます。

サウルにとって自分の命は元々拾われた命であり、「息子」が川に流れた瞬間、彼の中でそれ以上生きる意味を無くしたことも後方で足取り重く歩くシーンからも読み取れます。

それでもあの微笑みを見せたのは、「息子」の無念は果たせずとも自分の代わりに未来のある子供を助けることができた安堵感や恐ろしい歴史の代弁者として後を託すことのできた安心感から故のことだと個人的には思いました。本来は、「息子」を土葬し、将来蘇った時にその有り様を伝承してもらうことが目的だったからです。それは今こうして忌々しいホロコーストの歴史を映画を通して垣間見ることのできる私達へのメッセージというメタ的表現でもあるとすると、なんと作り込まれた美しいクライマックスなんだろうと感じました。