気ままに生きます

人生いろいろ

ありがとうございました(1)

ぼくが今のサークルに入ろうと決めたのは直感でした。大学のたしか手続きの日でしたかね…1時間以上学部のガイダンスに遅刻して、何となく話を聞いた後に8号館前のビラ配りが行われているところでもらった文化系サークルのチラシの中から適当に選んだ部活に入ろうと思ってました。「とめはねっ!」という書道マンガがあるのですが、それを見て少し書道部に憧れていたぼくは大学に入ったら書道を始めようと考えていました。しかし、大阪市立大には書道部はありませんでした。


ただ、大学から始めてみたいことがもう1つあって、それは軽音楽サークルに入ってギターを弾くということでした。ぼくは高校入学まではiPodウォークマンの類は一切持っておらず、音楽の知識はほとんどありませんでした。母親が元音楽教師で、実家で今も細々とピアノ教室を開いていて、グランドピアノとそれ専用の防音の部屋も家にあり、英才教育を受けて合唱コンクールでクラス代表でピアノ担当になれるくらいの人間にはなるはずだったのですが、単純な音を弾くだけの練習が嫌いすぎるぼくはすぐにワガママを言って、半泣きになり、結果親に5歳で辞めさせられてしまいました。そこからは特に音楽とは縁のない日々を過ごしていました。
しかし、高校1年生の時に親が懸賞で当てたウォークマンをもらってから音楽を聴き始めるようになり、高校2年の時にはiPodを買いました。そこからは、受験勉強も始まったということもあって、それまで所属していた部活が終わり、友達との遊びの回数が減ってしまい、次第にiPodで音楽を聴くことがぼくのストレスを発散させる唯一の方法になっていました。2週間に1度、2駅離れた家から一番近いTSUTAYAに行って5枚1000円のアルバムを借りることが1番の楽しみでした。TSUTAYA内で携帯のiモードでバンドについて検索しているうちにいつも1時間ほど店内に滞在していました。
当時はまだYouTubeなどの動画サイトでのPV公開や音源の無料視聴が普及していない時代だったので、適当にネットでアーティスト名を検索してそこに書かれたおすすめのアルバムを聴くということを繰り返していました。その中でも、高校時代はいきものがかりFUNKY MONKEY BABYSBUMP OF CHICKENYUI大塚愛サカナクションTHE BAWDIESBaseBallBearチャットモンチーなどをよく聴いていました。予備校時代は、amazarashi、世界の終わり(SEKAI NO OWARIではない)、高橋優にハマっていました。鬱ソング、メンヘラソング、応援ソング。闇。
その辺りくらいから大学に入学したら、ギターを買いたいなと漠然と思っていました。ちなみにこの時にはベースとギターの区別がついていませんでした。


そんなこんなで多少は音楽に興味を持ち始めていたので、大学に書道部が見当たらないことに気づいて以降は軽音楽サークルに入ることを決意していました。
ただぼくは、生来の面倒くさがりやなので今のサークルのライブにも1回しか行きませんでしたし、部会も、他のサークルのライブにも、行ったことはありませんでした。所属人数が最も多く、大学から始めた初心者が1番多いという情報は知っていたので、最初からそこに入ることはぼくの中ではなんとなく決定しており、確定飲み&部会にだけ行くことにしました。


確定飲みの日の部会には当然、入部希望者が全員集合していました。今となってはディズニーが好きで、穏やかな性格であることを知っているPAのIくんですが、当時は髪の毛がたしかピンクかオレンジというこれまでのぼくのコミュニティにはいなかった奇抜な髪色で震えあがりましたし、その他面白ボーカルのUくんやイケメンギタリストKくん、目力すごすぎボーカルのSくんなどのコワモテ系がたくさんおり、この時点で仲良くやっていけるかぼくは不安でたまりませんでした。
しかし、その中でもなんとか何人か同じような波長な人を見つけ出すことができました。ぼくの敬愛するサカナクションのボーカル、山口一郎さんに似たTくん。天王寺で行われた1次会で隣の席に座っており、その流れでメールアドレスを交換した海外旅行系美声ボーカリストKくん。2次会の席で心良い先輩がブッキングしてくださり、その流れでバンドを組む約束をしたペンギン系ボーカリストKくん、ミステリアスベーシストIくん。
こうして期待と不安を胸に抱きながらぼくの大学生活はスタートしました。



疲れたので、過去最大規模の自分語りはひとまず今日は終わりです。