トリーチャーズ症候群
僕の妹が障害を持っているという話はこの前しましたが、その関係性で彼女は小学生から高校生の間まで大阪市内にある施設に通っていました。そこは様々なハンディキャップを持った子供たちが日々勉強したり、身体の機能を良くするために頑張っている、そういった場所でした。僕も幼い頃、母の付き添いでよく足を運んでいました。
この動画で挙げられているようなトリーチャーズ症候群のような子も見たことがありました。
動画内の石田さんは非常に逞しい人なんですね。厳しい道と楽な道があれば厳しい道を選ぶように自分に言い聞かせる、というのは頭では理想として思い描いていても実際に行動に移すことはとても難しいことです。自分の人生に弱気になってはいけないと改めて気づかされました。
新機能
LINEを送る友達もいないので自分のメモで試して見ました。
機能性以前にただただ虚しいですね。
ボクたちはみんな大人になれなかった
見たい映画のチケットが売り切れておりどうしようか迷っていたところ、ふとこの小説を紀伊国屋新宿店で見つけた。
映画を観るために新宿に出てきただけにすぐさま帰るのも気が引けて再び映画館に戻った。
おもむろにtohoシネマズ新宿の上映待ちあるいは暇を持て余している人たちが座るソファに腰掛け読み始めた。
特に淡い青春を送っていない自分でさえも、その切れ端のような思い出が掘り返され、記憶の蓋が再び開かれた。
誰しもが抱いていたあの時の高揚感を私小説のように描きながらも、所々で余りにもキラキラしすぎていると面食らってしまうような描写が折り込まれており、ひとつの作品としてまとまっていた。
結局は1時間半ほどでその場で読みきってしまい映画は観れなかったものの、それに類する体験はできた。それぞれの描写で地名、店名、曲名など固有名詞が使われており、情景を思い浮かべるのに苦労はしなかった。
心の隙間に染み渡って行く作品でした。
映画 「ライフ」 感想
未確認生命体×宇宙船。
同名の名作映画があるがこれはまた別の作品。
ありそうでなかったスリリングな設定で、船内に「何か」がいるという、パニックを助長する演出が終始あり、スクリーンから目が離せなかった。
血飛沫が上がるシーンも無重力空間の船内では一滴一滴が水玉のように噴き出し、恐怖心が一層増した。
目を塞ぎたくなる、逸らしたくなるけれど怖いもの見たさで薄めで見てゾッとするような場面や、突然ピンチに巻き込まれる場面が散りばめられているパニック映画の醍醐味が凝縮された作品だった。
ラストシーンも非常に良かった。大抵の映画は残り30分ほどで結末が見えるが、今回に関してはさすがにこの展開は予想していなかった。
「ライフ」というタイトルが未確認生命体とラストで生命体を倒して無事地球に帰還する人間の命の2つにかかっているみたいな意味があるんでしょという自分自身の想像を見事に裏切られた。
個人的には「メッセージ」でもこれくらいのガチガチのバトルを期待してただけに今回のストーリーは非常に満足。
続編があるのか。気になる。
今まで誰にも言えなかったこと
僕には妹が2人に入るが、
その内長女は実は障害を持っている。
そして、妹は肢体不自由の身体障害者でかつ話すことができない知的障害者であり、いずれも最重要度「A」である。
生後間も無くなんらかの発作を頻繁に起こし、その発作が原因で脳に重い障害を持ってしまったらしい。
ただ発作が原因ということは分かったが、何故発作が起こったのか、何故障害が起こったのかまでは全く分からない原因不明の病気らしい。
おそらく、僕自身の1番古い記憶が、妹が入院している病院の光景でそこには大きな汽車があり、無邪気に何も考えず、遊ぶことを楽しんでいた。
今では、妹は優秀な先生のおかげで発作も収まり、食事もとても好きで、笑い声もよく見せてくれる。しかし、歩いたり、話をしたりすることはできない。
なぜこんな話をしたのかというと、今日実家から手紙が届き、妹と両親が染色体や遺伝子などの検査を受け、国レベルの遺伝子治療チームに原因を追求してもらうことになったからだ。
この子は一生人と話すことがてきない、あらゆる薬を試したが原因が分からないと言われ途方にくれたという話を母からよく聞いた。
しかし、検査によってひょっとしたら数年後には原因が分かるかもしれないし、僕が生きている間に妹と話すことができるかもしれない…と考えると涙が止まらなくなった。
今は障害を生かすための治療は進んでいても、治す治療が進んでいないのが現状で、過度な期待は禁物だがそれでも僕に取っては青天の霹靂のような気分がした。
一生話すことができないと諦めていたので。
そして、もう1人の妹は現在教育大学に通っており、養護学校の教員を目指している。昔は毎日喧嘩をしていたが、今となっては尊敬している。
自分だけが全く関係のないフィールドにいていいのか…とは思うがまずはこっちで少し社会経験を積もうと思う。
小林麻央さん
今日は健康診断のため昼から一時会社を離れ都内の病院に行きました。
ちょうどその頃に市川海老蔵さんの記者会見が始まりました。その会見を見て思わずウルっときてしまいました。
確かに小林麻央さんが34歳という余りにも早い年齡で天国に旅立たれたことに関しては家族や本人にとってもこれほど無念なことはないと思います。
ただし、本当の本当に最後の息を引き取る瞬間に愛してると言える関係性って人間として何か根源的なところでこれほど価値があることはこの世には存在しない、そう思うのです。
お金とか名声とかどうでも良くて将来自分もこういう最後の瞬間を迎えることができれば素敵だなあと感じました。
んーそのためにはどこで最後を迎えたいとか、例えばそれが大阪だとか、誰に看取って欲しいとか、子供であるとか、じゃあいつまでに結婚しないといけないのか、そういう関係性になるために子供達とどういう付き合い方をすれば良いかとか、余暇や給与が十分にある会社だとか、今の会社にいつまでいるべきかとか色々考え込んでしまいました。